愛社精神、それ何?美味しいの?

冨山和彦氏のインタビュー記事(?)
「愛社精神」という、日本独自の不毛な発想
半沢直樹の苦悩は欧米人には理解できない
が今日、東洋経済オンラインに載っています。

あえてwikipediaより著者の経歴を引用すると、

冨山和彦
1960年(昭和35年)生まれ。筑波大学附属駒場高等学校卒。東京大学法学部在学中の1984年に旧司法試験に合格。1985年3月に同大学を卒業しボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に入社した。翌1986年にはコーポレイトディレクションの設立に携わることになり、設立後は経営戦略の立案やその実行支援を担当。1990年にスタンフォード大学経営学修士(MBA)取得。2001年には代表取締役社長に就任した
政府の打診により、2003年4月からは産業再生機構の設立に参画、代表取締役専務兼業務執行最高責任者(COO)を務めた。同機構は合計41社の支援決定を行った。
(中略)
2011年11月より文部科学省・科学技術・学術審議会基本計画特別委員会委員。2013年4月、経済同友会副代表幹事に就任。

と、錚々たる経歴、と言えば聞こえは良いですが、娑婆の感覚からすると、はっきり言ってバケモンです。

歯切れの良い、と言えばこれも聞こえば良いですが、激辛コメントも特色で(例えば、名言DB)最近はG型大学とL型大学という概念を提唱し(『なぜローカル経済から日本は甦るのか』)、物議、もとい議論を醸しています。例えば、

社会的に有用なものに変換されない限り、税金を投入した意味はない。そういうと、必ず真理追究の場としての自治独立などという人が出てくる。学問の府である大学の美しい自治のなかで研究に励んだ結果、毎年のようにノーベル賞を取るスタンフォードやハーバードと同じレベルに到達すれば、いくらでもそういう主張をしても構わない。しかし、ノーベル賞は取れない、イノベーションを起こせないでは、あなたがたの存在意義は何ですかと問いたくなる

私は、そんな冨山氏の議論は一聴の価値があると考えているので、冒頭の記事を少しご紹介します。

筆者はかねがね、愛社精神というものに疑問を抱いている。……東芝という「会社」は、見ることも触ることもできない抽象的なものであり、……会社とは…事業という目的のためにつくられた、法律的なフィクションである。……今の日本では、会社がいつの間にか、それを自己目的にしてしまっている。……因果関係がひっくり返ってしまい、「社員の人生を保証するために会社がある」「会社を存続させるために事業がある」というように誤解されていることがある。
……残念ながら世の中は、会社(共同体)の論理よりも、事業の論理で動く。そして、事業の論理は冷徹である。事業の論理ですでに結論が出ていることを、会社の論理で覆すことは不可能なのだ。
……経営者も社員ひとりひとりも、この原点に立ち返り、共同体の単位を「会社」ではなく「事業」単位で捉えることが、今求められているのではないだろうか。

ところで、会社の事業のタイプには、大まかに言って、定型型業務とプロジェクト業務に分けることができます。

前者の典型は役所の仕事で、周期的に同じ業務をずっと続ける業務形態。

後者の典型はITシステムの導入プロジェクトで、業務の始まりと終わりが明確にある業務形態です。

そして、今日(こんにち)、役所ですらも、プロジェクト型の業務が増えています。

プロジェクトごとに勤務する仲間も場所も違ったりするので、

”会社”というハコがあまり意味をなさなくなっています(現に、IT業界では転職が多いですね)。

したがって、”会社”が”共同体の単位”の座から落ちるのも、時間の問題なのでしょう。

自分のキャリア形成を”会社”を中心に考える時代はもう終わっているのは、

私が言うまでもないですよね。職務経歴も”事業”を中心に作り上げていくもので、

”会社”を中心に作り上げるものでは、もうないですね。

東芝の問題がいま表面化したのは、偶然ではないと思います。

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