「京大卒なら仕事ができて当たり前」は正しい能力観か?

みなさん、こんにちは。

唐突ですが、みなさんは「京大卒なら仕事ができて当たり前」と思いますか?
(関西以外なら、京大→東大、になるんでしょうね。東大と京大は違うところはたくさんありますが、ビジネスの場面では大した違いは出てこないと感じます)

学歴と仕事能力との相関は、業界により様々でしょうが、一定程度あるものと思われます。
(なければ、標題のような発想は出てこないでしょう)
特にコンサルなどの頭脳職(?)は、公然と「地頭の良さ」を求めてきますね。
(ありていに言い方を変えると、「馬鹿はいらない」ということです。・゚・(ノД`)・゚・。)

しかしながら、相関は一定程度しかありません。
大学入試と仕事では、求めているものが根本的に違うのですから、行き違いがあってむしろ当たり前です。これが役員などになってくると、意思決定能力の速さと正確性・妥当性が問われるため、学歴というメルクマークが重宝されてくるのでしょう。

これを見越して、未だに多くの企業が、東大卒社員等を対象とした出世コースを設けています。東大卒は入社時から、経営幹部候補なわけです。官公庁のキャリア/ノンキャリアの区別も同じですね。現場の仕事の方も東大生の方が目に見えてできるのが普通であれば、それが当たり前になるのですから、冒頭の問いは出てきません。

私が社会人になって最初の職場でよく言われたのが、「考える時間を極力少なくしろ」でした。頭でっかちの私は、困りました。仕事は、必要な行為をしてナンボですから、考える時間はロスです。まさに、自分の品質管理をしなければいけません。学歴と仕事力に相関がないことの典型でした。

これは筆者の取材経験から感じることだが、「潜在的な能力」なるものがあるとしたら、遅くとも30歳前後までには何らかの形で開花するはずである。その時点で同世代の中で頭角を現すことができない場合、潜在的な能力など兼ね備えていなかったのだろう。
30歳前後で頭角を現すことができない社員は、企業社会からこんなメッセージを突き付けられているのだと思う。
 「他の業界や会社に移ったり、あるいは自営業をするなど、会社員以外の道へ進むことを含め、広い視野で今後の進路を考えたほうがいい。そこにこそ、潜在的な能力が潜んでいるのかもしれない」
(出所:「東大卒なら仕事ができて当たり前」は正しい能力観か?

こんな理由で独立してもうまくいくはずがありませんから、仕事は生計を立てるためと割り切ってアクションをすることも必要なのではないでしょうか。

[2017.3.14追記]
一流大学の中でも、たとえば京大生の能力には残念さを感じる『採用基準』 – エキレビ!

 

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