我々は、なぜ”リベラルアーツ”を学ばねばならないのか?

みなさん、こんにちは。

今日の日経朝刊に”リベラルアーツ”という、あまり見られない言葉がありました。
過去にもリベラルアーツの取り組みはあったようですが、人口に膾炙したのは、池上彰氏が特命教授になったことで話題になった、東京工業大学の取り組みでしょう(私が修了した後のことなので、学歴自慢ではありません)。リベラルアーツとは、いわゆる学部1年次・2年次に履修する”一般教養”の新しい形で、これを大学の全課程に盛り込むことで、学生の知の底上げを狙うものです。

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私のいた大学では、教養学部が廃止され、総合人間学部となったのですが、カリキュラムの中身はあまり変わらず、”全学共通科目”として、一般教養の授業が提供されていました。”政治学基礎論”・”経済学基礎論”・”心理学基礎論”・”物理学基礎論”といった具合です。ただ、この”全学共通科目”の特長は、音頭を取っている総合人間学部の専門科目も、一般教養として履修できることにあります。はっきり言って、ほとんどの学生は関心がないのですが、私は政策論や経営組織論などを4年次まで履修していました(総合人間学部社会システム学コース(当時)の授業は、演習などを除いたほぼ全ての単位を得ました)。後に文理融合を掲げる大学院に進学したため、まさしく”教養”として、社会システム学コースの下地は大いに役立ちました、多分。

ビジネスパーソンやそれを類する人の中には”教養”をバカにする人がいますが、土台のない業務知識だけで、このグローバル時代を乗り切れるでしょうか?多種多様な市場のニーズに応えられるでしょうか?より実りのある対人支援ができるでしょうか?官公庁や大企業のトップはそのことに気づき始めているようで、古典を読む朝活などをしているようです。

グローバル化する現代において、私たちは今や生活者であり、市民であるだけでなく、地球という限られた空間に生きる人類社会全体の一構成員=世界市民(コスモポリテース)でもあることを自覚しなければならない。現代のリベラルアーツは困難な時代を生きるための羅針盤としての意義を有しているのである。(吉岡知哉立教大学総長)

かのアインシュタインは、「教養とは、学校で学んだことをすべて忘れたあとに残るもののことである」と述べています。専門知識が深まるほど、一般教養の知識は薄れていくものです。しかしながら、アインシュタインに言わせれば、何を”忘れた”のかが大事なのではないでしょうか。

【参照資料】
教養教育、3段階で 現代の「リベラルアーツ」 立教大学総長 吉岡知哉(日経本日朝刊教育面)
「リベラルアーツ」なぜ必要か-自由に生きるための“おとなの教養” ニッセイ基礎研究所 土堤内 昭雄
「おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか」池上彰(NHK出版新書)

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