みなさん、こんにちは。
あまりにおぞましい事件から、2度目の週末を迎えます。
事件を解明するには、辛い作業かもしれませんが、よくよく、被告の書いた”手紙”の内容を読み解く必要があります。妄想ならば医療の対象ですが、思想ならば医療の対象とはならないからです。つまり、刑事責任が発生しえます。
一、被告の発想からすると、”障害者は生産能力・消費能力がないのだから、経済の活性化に寄与しない”、ということなのでしょう。冷静に考えれば、例えば身体障害者の補助具一つとってもマーケットが存在するわけで、排除する理由にはならないのですが。”第三次世界大戦”というのは、よくわからない。
二、”保護者の同意を得て安楽死”というのに、脳死による臓器移植を想起しました(もちろん、両者は全く別の事項です)。つまり、本人にもう判断能力がないから家族が代わりに意思決定する。いわば、当事者の人権を肩代わりしているわけです。これは、「障害者には、”自分は死んだほうがいい”という意思決定能力がない、自分のことを自分で決めるという人権がない」という論理なのだと思います。ここまで考えて、初めて、「障害者差別だ」ということができると思います。
三、「障害者は不幸を作ることしかできない」ホントかよ?介護職員の疲れ切った表情を見てそう思ったのかも知れませんが、その障害者の親族にとって、ご本人がどういう存在か、想いを巡らせたことはあったのでしょうか?親御さんにしてみれば、たとえ”手のかかる存在”であったとしても、大切な存在であることに変わりはないのではと思います。勿論、介護殺人などの問題もあるので、一様には論じられませんが。
四、入所者を殺害することが”辛い”決断だということは、被告には、自分のやろうとしていること(殺人行為)は良心の呵責を伴うという自覚があるということでしょう。なおかつ、「日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか」という文面からは、本人なりの〈使命感〉(とても許し難いものですが)が垣間見えます。
このように考えると、被告は決して”精神障害”のせいなどではなく、極めて冷徹な思考・判断能力を有していたと考えるほかありません。
この事件では、”障害者”とは身体及び知的障害者のことを指しました。精神障害についてはまた違った議論が必要になると思いますが、それは別の機会に。
【参照資料】
相模原殺傷 衆院議長宛て手紙 詳報(共同通信)
相模原の事件で問われることは何か(ヨミドクター 原記者の「医療・福祉のツボ」)
相模原殺人 「多くの人は暴力とは無縁」専門家が精神障害者への偏見を懸念(週刊朝日8月12日号)
障害者殺傷事件から1週間 “障害者の存在を”連帯の動きも(NHK「ニュースウォッチ9」8/2放送)
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